おじいさんのフルート。(長いよ)
僕の手元にはフルートがひとつある。
古ぼけた、かび臭いグレーのケースに入ったそいつは、
あちこちがさびていて、油くさく、とても口をつけて音をだす気にはなれない代物だ。
それでもなんとなく捨てられないのでいるのは、
祖父の形見だからといって祖母からもらったものだからだ。
祖父早川進は大正5年、麻布の国道一号線、飯倉交差点の程近く、今の港区神谷町でうまれた。
一号線を飯倉から六本木方面へ数百メートルほど行って、一本脇に入ったところで、映画”三丁目の夕日”の舞台になったあたりだ。
東京タワーともほど近いあたりだが、当然当時は東京タワーなどまだ無い。
かわりに家の前には、東京市電という路面電車、(のちの日々谷線)が走り回り、にぎやかな交通の要所であった。
進の父、早川彌左衛門は、中央交響楽団という日本初のクラシック楽団の団長で、副団長の山田耕作らと並んで、明治・昭和の日本のクラシック黎明期においてそこそこ知られた指揮者であった。
時は昭和へうつり戦争へと傾いていく時代においてもなお、進の家は裕福で何ひとつ不自由のない暮らしを送っていた。
彌左衛門はこのころ日本における木管楽器の普及に力を注いでおり、自然、進はフルートの教育を受けることとなり、学校を出た後オーケストラに入団することになる。なんのことはない、ほぼコネ入社のようなものといってもいい。
進の弟が映画俳優をめざし独立したのにくらべると、要は要領のいい子だったんだろう。
とはいえ、そんな平和な時代はつかのまにすぎ、すぐにあの泥沼の太平洋戦争の時代がやってくる。
のうのうとオーケストラ暮らしをしていた進の元にもやがて赤紙という召集令状がやってくる。
配属は海軍。
場合によっては軍艦に乗って遠い戦地へと赴かなければならない。
ところが、海軍には軍楽隊というブラスを主体としたオーケストラがあった。
戦場へ向かう兵隊を鼓舞したり、軍艦マーチを鳴らしたりする楽団を映画などで見たことがあると思う。
もちろん戦地にいく場合も多いが、たいていの場合オーケストラの団員達は、通信兵や、整備兵など、戦地へいかなくても良い場合が多かった。
幸いフルートが吹けた進は、この団員となり通信兵として、東京四谷の海軍駐屯地に努めることとなった。
さらに後には彌左衛門が海軍軍楽隊隊長という職につき、ここでも進はお偉いさんの息子ということで規律の厳しい軍隊の中でも比較的楽な立場にいた。
ちなみに、このころ念願かない東映の映画俳優になっていた弟は南方の戦場へやられて戦死している。
飛行機を眺めるのも好きだった進はもちまえのちゃっかりっぷりを発揮し、たびたび、作業をサボって抜け出しては、府中の飛行場などに電車を乗りついで遊びに行ってたそうだ。
進が努めていた通信兵の詰め所には、ときどき、女の子達が来ることがあった。当時師団長クラスの士官たちにはそれぞれ、男女数名の若者が、秘書兼雑用係としてあてがわれることになっていた。
とりわけ東京へ行ってお国へなにか奉公をということで、学校を出たばかりの18,9の田舎の女学生達が志願しているケースが多かった。
通信兵の詰め所においてあったガリ版(簡易印刷機)を借りに、この女の子達が時々やってくるのだ。
男女六つにして席を同じうせず、の当時、普段から色気の無い生活を強いられている若い兵隊が、彼女達を意識しないでいられるわけが無い。
進ももちろんその口で、彼にも気になる女性がいた。
東北出身の色の白い、かわいらしい目の大きな女学生だ。
奉公として志願してきて、海軍第十五師団の山本師団長の下で働いているらしい。
ところが、士官直属の彼女たちは18,9の小娘とはいえ、身分は下士官扱い。
進はこのとき上等兵。当時の軍隊内の規律の上ではおおっぴらに口をきくとこっぴどくしかられてしまうのだ。
なんとか上司にばれずに彼女達に話しかける方法は無いものか。
そこで、進は一計を案じた。
右手を上に腕組をして、そのまま右手をほどき頬の辺りに当てる、いまでこそオカマみたいだが、こうすると、一見考え事をしているようなポーズになる。
また左から見る分には口の動きが見えない。
こうして、上官の左側のドアの入り口のところに立ち、右側を通る女学生に話しかけようというのだ。
この思いつきはうまくいき、女学生は最初は驚いていたものの、次第にきちんと言葉を交わせるようになっていく。
とはいえ、時代も時代。言葉も「調子はどう?」などとふたことみこと交わせるのがやっとで、とてもデートに誘ったりできるような状態ではなかった。
やがて、東京大空襲などの悲惨な戦争末年を経て、終戦となる。
海軍駐屯地でも8/15日、ラジオの玉音放送が流された。
涙ぐむもの、やがて来る占領軍のことを恐れてパニックになるものなど大変な騒ぎになった。
ところが、これでおおっぴらにしゃべれると思った進、おおあわての周囲をよそにすぐに女学生のところへ出向き、「結婚してくれ」と申し込んだのだ。
この女学生がのちの僕の祖母となる。
先のことなど誰もわからない時代。どさくさ紛れの結婚だった。
さて、こうして戦後、日本の大混乱の時代が訪れた。
まして、クラシック音楽どころではなかったのだ。
このころ、元来、体の弱かった、父、彌左衛門は、海軍軍楽隊も中央交響楽団も退き、音楽界の第一線からは退いていた。
(なお、海軍軍楽隊は内藤清吾が跡を継ぎ東京消防庁音楽隊となり、中央交響楽団は山田耕作が跡を継ぎ、東京フィルハーモニー交響楽団として、現存する)
混乱の時代、いっかいの音楽家が生き残っていくのは大変な時代である。
ましてやクラシックの一演奏家などそう簡単にお金にはならない。おまけに、結婚の翌年にはすでに長男が生まれていた。
進にはいまや養っていかなければならない家族ができたのだ。
しかし、このころ、進はある情報を聞きつけていた
「進駐軍は食事の時にかならず、演奏を聴きたがる。それもジャズ音楽だ。」
まだレコードや、ラジオの店内BGMも気軽に設置できない時代、生演奏の需要は多かった。
そこで進はすぐに、フルートをベースに持ち替え、ジャズを練習するようになる。
クラシックの教育しか受けたことの無かったボンボンにとって、ジャズはまったく未知の音楽だった。
しかしすぐに進はその先進的な響きのとりことなり、めきめきと腕を上げ、ジャズマンとして夜な夜な進駐軍相手のレストランで演奏をして稼ぐようになった。
まだまだ、ジャズの演奏家の少なかった時代、進のバンドの評判は上々、あちこちのレストランに引っ張りだこの状態となる。
やがて、それを見ていて、やはり血が騒いだのか隠居状態であった彌左衛門も、指揮棒をバイオリンに持ち替え、ジャズバンドに参加するようになる。
かつてはオーケストラの団長として活躍していた人物が突然ジャズのような低俗とされる音楽をやることに抵抗もあっただろうが、明らかに時代は変わっていたのだ。
彌左衛門の参加は昭和二十四年に死去するまで続いた。
進はバンド活動を続ける。今日は広尾に明日は神田にと演奏の日々が続く。
そして、進がジャズの演奏家として、活動する間、戦後数十年をかけ、高度経済成長期を経験し、日本は少しづつ豊かになっていく。
またレコードも気軽に手に入れられるようになり、ラジオ・テレビの普及により少しづつ生演奏の機会は少なくなっていった。
そこで、進は東京神谷町の自宅の敷地を利用して、アパート経営を始めるが、このアパートはしだいに音楽家志望の若者が集まるところとなり、のちに”上を向いてあるこう”などで有名になる中村八大や当時の流行歌手らが住みつくようになる。また銀座の夜の女性達、まだ結婚前のデビ婦人らなども遊びにきてドンちゃん騒ぎをし、近所から煙たがられる名物アパートとなる。
当然経営ももちまえのいい加減さで、ほとんど祖母任せ、いかんせん生活は苦しかったようだ。
そして、気がつけば進も54歳になっていた。ちょうど、父彌左衛門がなくなった年だ。
突然進はこう宣言する。
「俺はもう仕事をやめる!」
「親父は体が弱いのに仕事をしたから死んだ。俺も親父の死んだ年になった。だから仕事をやめる。」
という周りからみたらまるで意味不明の宣言をして、それ以後は一切仕事をやめてしまった。
それ以降いちどもフルートもベースも手にすることは無かった。
僕の見た、祖父の姿は、それ以後のまさに好々爺という姿だけだ。
そんな祖父も無くなって、もう十年以上がたつ。
神谷町の家もアパートも今は誰かの大きなビルになっている。
祖父がフルートを吹いたり、ジャズをやったりする姿は想像もつかない。
常にどこかひょうひょうとしていて、真剣に怒ったり、なにかに熱くなっている姿をほとんど見たことが無い。
、祖父はあくまで一介の無名の演奏家として終わり、なんの作品も記録も残っていない。
しかし大変な時代を一人の音楽家として生きたことは確かだ。
祖父の唯一の音楽の痕跡がこのフルートなのかもしれない。


コメント
はじめまして。横浜の音楽家で指揮やオーボエの仕事をしています、石渡と申します。
私は消防庁音楽隊に15年前まで在籍しましたが、退職し音楽家として生活しています。
消防庁音楽隊はこの不況で存続の危機に直面しています。大阪では消防音楽隊が廃止されました。
http://www.cantabile-oboe.com/index.php
どうぞ私のページに私を楽長に推薦していただきたいとのブログがございますので、皆様ご覧になってください。是非ともご協力を、お願いいたします。
投稿者: 石渡 裕久 | 2010年05月23日 11:25
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投稿者: payday loan | 2010年07月02日 03:50
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投稿者: qrEZXtRW | 2010年07月29日 02:53